小籠包の発展や変化
中華料理と聞くと、小籠包を思い浮かべる人は少なくないでしょう。小籠包は一般的に、豚のひき肉にスープの煮こごりを入れて、薄くのばした皮で包み込んで蒸して作られます。
中華圏で食べられるばかりでなく世界中でも愛される小籠包ですが、実は数え切れないほど豊富な種類と食べ方があるため、誰でも認められる発祥地はおそらく今でもないでしょう。正解はないかもしれませんが、今度は小籠包の発展や変化の歴史を調べてみました。
中国では、「南は米、北は麺」ということわざの通り、主食は南が米と北が麺に分けられます。しかし、麺料理である小籠包は、長江の南にある江蘇省から浙江省にかけて、いわゆる「江南」の地区で生み出された印象が強く残っています。宋朝時代(960年―1279年)の記載からすると、首都が北にあった北宋が滅んだ後、色々な肉まん料理が南に逃げた宋政府と共に江南に伝わったようです。その中の饅頭に肉やスープを入れた湯包は、小籠包の前身だと思われています。戦争が少なくなり、経済が成長していた明朝や清朝の前期(1368年から1800年ごろ)になると、湯包は多様化し、皮を薄く作れたり、蟹味噌の黄色い部分を入れたりした様式も現れました。少しずつ、現代のような小籠包の形に近づいてきた時代でした。
清朝の終わり頃、各地に独自の小籠包レストランが確立され始めました。一つ目は、1871年から上海の南翔鎮という街路で売り出した「南翔小籠包」でした。皮が非常に薄い、レンゲに入れるほど小さいといったのは、南翔から広がった上海小籠包の特徴です。上海の小籠包はその後にも変化し続き、1930年ごろには小籠包を焼いて食べる「生焼き饅頭」が流行り始めました。
一方、私の父や祖父の地元である無錫市は、大きくて餡の多い小籠包で有名で、清朝の皇帝に小籠包を紹介したことを誇りに思います。したがって、私は毎回無錫に帰るたび、必ず祖父の自転車に乗って「王興記」という1922年開店した古い店に小籠包を食べに行きます。上海の塩辛い小籠包に対して、「王興記」の小籠包は無錫人の好みに合わせて少し甘めで、慣れない観光客も多いそうです。
1949年、中華民国政府の移転を通して、小籠包を食べる習慣が台湾でも広がりました。鼎泰豊という店が小籠包の作り方を標準化し、国際でたくさん開店し、小籠包は高級料理として広く知られるようになりました。小さい頃から食べている思い出の無錫の味でも、世界中で認められる台湾の味でも、素晴らしいと思います。これからも、小籠包の変化を楽しみにしています。

そうですね、上海の小籠包はとても有名ですね〜
返信削除世界中で少しずつ広がるため、これから、おそらく小籠包も変化続けていくだろうね。面白いですね。